ゴーゴリ「外套」の感想
ゴーゴリの「外套」という小説を読んだ。かなり面白かった。話の筋や、オチを楽しむタイプのユーモラスな作品だと漠然と思い込んでいたのでかなり面食らった。
確かに、ユーモアのような物は感じられたのだが、それがあまりにも私の想像を超えていたので完全に圧倒されてしまった。
「ダムネイション」という海外ドラマで殺し屋が人生を揶揄して「不条理で、長い、退屈な冗談」とあざ笑うくだりがあるのだが、それが思い出される。
中盤辺り、外套を完成させてから盗られるまでの下りが異様な緊張感に満ちていたのが印象的だった。これから外套を失うのは解りきっていて、その瞬間を待つしかないあの間は恐ろしかった。あの感覚は、この世に対して裏返しの信頼感を持っている人間、主人公の同類みたいな人間でなくては理解できないかもしれない。
私は、割と最近に書いた小説で「外套」に描かれていたのとよく似た題材を扱ったつもりでいたのでその分、「外套」のキャラクター造形の巧みさや道具立てに関するゴーゴリの勘の鋭さのようなものに意識を傾けて楽しむことが出来たようにも思う。また、自分の中にある物を「外套」の中に見出したことによって、雲の上の人である、遠いロシアの文豪の面影がそれとなく親しみやすいもののように思えてくるのが大変不思議で嬉しい。
昔は、こういった偉大な作品に触れた時、特に自分のそれと何らかの共通点を持つ物に触れた時、劣等感に駆られて絶望してしまう事がしばしばだったのだけれども今回はあまりそういったことは無かった。年月が私に身の程を教えてくれたのだとしたら、歳をとるのも悪い事ばかりではないと言えるのかもしれない。
ところで、私が「外套」を読むつもりになったのはAmazonPrimeで「魔界探偵ゴーゴリ 暗黒の騎士と生け贄の美女たち」という映画を見た事が切っ掛けでして、映画の中でゴーゴリが、両目のあるべき所に黒々とした煤煙のような何かがみっしりと詰まった恐ろしい人物、として作中の妖怪や魔女たちにしばしば幻視されるのをそこはかとない疑問を抱きつつ見ていたのですが、「外套」を読んでそこはかとなく、そのビジュアルのリアリティのようなものが理解できたようにも思います。
最後に、これは……何だ?
さっき、実存的恐怖、という語でググってたらこれが出て来ました。もし私がお金持ちだったら、これを片っ端から友達に送りつけていた、という未来も十分にあり得るので貧しくてよかった。実存的恐怖を抱きしめるには、それぞれのタイミングがあって然るべきと思うので……
こういう実存的な何かが頻繁に星空と結び付けられることについて、実は私もそこはかとない共感を持ってはいるのですがキリがなくなっちゃう気もするので、今日はひとまずこれで。
おつquaaaれ~