qaaaaaaaの雑雑雑ブログ

ふにゃふにゃふにゃふにゃ……

「ネオン・デーモン」、「やがて君になる」の思い出と量的リビドーの集中とかの話

 人生をシンプルにしたいという気持ち。ありませんか? ありますよね。私は、ちょっとあります。
 実は私はここ何か月か「アンチ・オイディプス」という本を読んでいました。すごい難しい本で正味な話、内容は殆ど理解できてないのですが、それでも何とか、後は補遺を残すばかり、というところまで読み進めてます。
 私が心を惹かれたのは「アンチ・オイディプス」全体を貫く「通貨」いう発想で(量的リビドーであり、糞であるところの物)私は、かつての自分が抱いた感慨を、このアイデアでようやく、自分に対して説明できるのではないかと思い、こうして筆を執った次第……
 で、自分に対して説明したい感慨って何よ? と、言いますと。これはレフン監督の映画「ネオン・デーモン」を視聴した際に抱いた感慨で、この映画は前評判、というか公開前の監督のインタビューでは女性的な物に関する映画との事だったのですが、実際に視聴してみて、私はこの映画からむしろ男性的な、マッチョイムズ的な何かを受け取り、しかもそれは恐らく、最もマッチョイムズから遠い所に位置していそうなある種の百合作品(当時、私が折身浮かべたのは「やがて君になる」でした)の中にも認められるような物だと思ったのでした。
 「ネオン・デーモン」の作中で、最も私の印象に残ったのは「美は通貨だ」という台詞でした。今にして思うと、まさにそのものズバリだな、と思うのですが、このセリフは実際、「ネオン・デーモン」作中での美という物の位置づけを良く表しているように思います。この映画の主人公たちは、言ってみれば「バガボンド」の宮本武蔵、あるいは「グラップラー刃牙」の範馬刃牙が強さに執着するようにして美しさに執着します。
 執着する事が美しいのか、あるいは、それ以外の全てを捨て去った事が美しいのか、という問題は一旦、置いて、こうしたシンプルさの魅力、というのは割かし普遍的なように思います。一昔前、有名な登山家が言った「そこに山があるからだ」という言葉は今もある種の姿勢を端的に表す言葉として世間に肯定的に受け止められているのではないでしょうか。
 ちょっと話が変わりますよ……
 バタイユは「文学と悪」という評論? 評論集? の中で「嵐が丘」を題に取った際、「ヒースクリフ、あなたは私なのよ!」という台詞に特に注目しています。バタイユは死という言葉を頻繁に、独自の肯定的な意味で用います(多分。体験、という言い回しと重なる部分もおおいにあるとは思うのだがその辺の詳しい事は解らない……)。これは死という物の、自己と他者の境界を破壊する性質に特に着目しての事で、先の「嵐が丘」の台詞と、ヒースクリフ、キャサリン両名の死という結末は、行き着く所まで行ってしまった愛の話の、必然的な最後としてバタイユには捉えられるわけです(多分……)。
 で、「やがて君になる」ってタイトルって、まさにそれじゃないですか! 最終的には誰も死なないんですけど、中盤までは自己と他者ではないんですが、他者と他者の境界にまつわる内容をがっつりやっていて、思弁的で危ない雰囲気があったんですよ。少なくとも、私は一人で浮足立っていました。
 以前、とある、ちらっとお見掛けしたブログ(URLは失念してしまいました……)で「オタクにとって美少女の果たすべき役割とは、恋人ではなく神だ」という事を言ってらして、鋭い方だな、とびっくりしたのですが私はどちらかと言えば、行き着く所まで行った愛は信仰である、という意見を持っています。先のバタイユの話に絡めるなら、だからこそ合一が志向される訳です。
 ところで、信仰という物の機能の一つは、人生をシンプルにすることではないでしょうか? 一般的に、宗教的な価値観においては量的リビドーを全て信仰に投入することは(それが可能か否かは別として)推奨されているように思うし、また、それは憧憬の対象であるようにも思います。
 話が取っ散らかっちゃったので力技でまとめるのですが、「ネオン・デーモン」は美に向かってリビドーを取りまとめ、「やがて君になる」では恋人に対してそれを取りまとめていた訳で、私がこの両作品に見た男性的なもの、というのはつまり、リビドーの流通に関する一神教的なモデルだった、と今の私は考えています。
 再びところで、「ネオン・デーモン」と「やがて君になる」では登場人物たちの愛の対象への積極性に割と差があるのですが(「やがて君になる」の登場人物たちは「ネオン・デーモン」のそれらほど主体的ではないような気がする」)、私は最近、「ローリング・サンダー」という映画を見返して、主体の放棄とそれに由来する静穏さ、という物について思うところを得たので、いつかはそれに絡めてまた、今回のように量的リビドーの集中に関する話をしたいですね。
 でも今日はこんくらいにしておきます。もう何も思いつかんので……
 そんじゃ、おつquaaaaaaれー